【 郡上市長に挑戦する旧友( 24/01/18 thu )】少し前のことです。今春行われる #郡上市長選 に挑戦する #田中康久 市議の関係者の集まりに出席しました。

田中市議とは学生時代からの旧知の縁です。お互い二十歳前後でしたから早四半世紀近くになります。彼が #早稲田大学雄弁会 、私が #立命館大学弁論部 、初めて出会ったのが、京都は立命館弁論部主催の清新杯(現在は故郷 鳥取県内の市役所で勤務する同級生が名付けました)弁論大会でした。国会の野次も時折聞くに聞くに堪えない内容が散見されますが、その影響もあってか、当時学生ながら野次の凄まじい大会だったので、母校で主催の時にはこれに一石投じたいと「野次禁止」としました。すると、「弁論の花である野次を禁止とは何事か!」と学ラン姿の早稲田雄弁会に囲まれました。「確かにヤジは弁論の花ですが、本来は弁士が欠いている点を突くのがヤジ、最近の大会ではヤジの内容に酷なものも多く見られるので、立命館清新杯では、まずは弁士の話をしっかり聴く。そして質疑で突く。その上でヤジの本質について考える一石を投じたい」というような受け答えをした記憶があります。すると奥から上級生らしき学ラン姿の雄弁会員がやってきました。「ウチの後輩たちが主催者に失礼を言いました」と、やって来たのが田中康久弁士でした。大会後、近くのお好み焼き屋で開いた懇親会で打ち解け合い、お互い同郷の岐阜県であることを知り、さらに親しくなりました。「将来は政治の世界で再会したいね」などと青い会話をしたことを鮮明に覚えています。

その後の再会は2008年、この年の春に行われた郡上市議選は無投票・当選者一覧を岐阜新聞で彼氏の名を見つけた時のことです。以来連絡を取り合い一緒にいろんな勉強会に参加し、あちこち視察もにも一緒に出かけました。先日の夜、田中康久市議新たな挑戦を応援すべく集まった郡上の地元の仲間たち。一様に「康くんは昔からブレない。そんな一本筋の彼なら故郷を担っていける!」そんな声が相次ぎました。

一直線の田中市議。故郷郡上市政のバトンを受け継ぎ走り抜かんと決意新たな挑戦に、心込めて応援したいと思います。

(余談:郡上市内での彼の集まりの前に立ち寄った吉野家さん。テーブルに着くと「和田議員さん!」とお声をかけて頂きました。見られている立場を常に大切に、気を引き締めて仕事を進めます。)