【 玉田県議お見送りと名鉄高架事業( 25/08/07 thu )】6日午前のことです。故 #玉田和浩 県議の葬儀に参列、前夜ご遺族より依頼を賜り、謹んで弔辞を述べました。
「おう!やっとるか!」元気印の玉田節が私は好きでした。子どもたちをこよなく愛した玉田先生、保育園でのサンタさん、#青少年育成会 での筏下り、何より先生自身が思いっきり楽しんでおられました。
#長良川 の鮎保全や漁協活動はライフワークでした。とりわけ #世界農業遺産登録 には古田前知事と並々ならぬご尽力をされ、農水省HPには登録決定時の笑顔溢れる先生の姿が今も掲載されています。土木行政では、#東海環状自動車道 岐阜IC開設、国道156号岐阜東バイパス、#藍川橋 、#国道21号・22号線高架化による交通改善や #名鉄高架 等々、今日の岐阜県政・市政発展に大きな足跡を残したのは言うまでもありません。福祉行政では、難病( #筋痛性脳脊髄炎 )について県庁各所をつないで頂きました。患者会からも深く感謝され、その気持ちを伝えに参列される姿も拝見しました。先生にお世話になった方々は無数にいらっしゃいます。心から敬意を表します。
玉田県議とはいろんな思い出があります。故 #細江茂光 前市長の選挙戦では、朝から晩まで選挙事務所でご一緒し、岐阜市の未来を熱く語らいました。私自身は、時に先生の方針や行動とは異なる思いが少なからずあり、玉田事務所に乗り込んでは随分と生意気も申し上げました。それでもそんな私に嫌な顔せず、いつも黙って聴いてくださり「ほうか、ほうか」と、抱擁してくださった玉田先生の笑顔が、私は好きでした。親分肌とはそういうものだと学ばせて頂いたものです。
6月県議会をお休みされ、入退院を繰り返されましたが、帰宅されたと伺い見舞いを申し出ましたが、遠慮の連絡があり、とても心配していました。本年5月の #岐阜市議会 臨時会後に頂いた電話、「おう!やっとるか!よかったな!おめでとう!」これが先生からの最期のお言葉となりました…。
小さい身体なのに大きな声、常に大きな夢を描く大切さを深く学ばせて頂きました。先生がこよなく愛した岐阜市大洞の #中将姫誓願桜 、人は美しい桜が咲けば花見を楽しむけれども、一体誰がその桜の種を蒔いたのか、一体誰がその桜を育てたのか…、これからの岐阜県政、岐阜市政の大事業が花咲く度、玉田先生が各所に蒔いた種、育てた証を、残された我々がしっかり繋いで参ることをお誓い申し上げ、別れの言葉としました。
葬儀同日の午後、折しも議長公務は #名鉄高架 事業の定期総会でした。冒頭、この事業に並々ならぬ力を尽くされた玉田県議への黙祷が呼びかけられ、国会議員、県会議員、国交省関係者、県庁関係者、市役所関係者、自治会連合会関係者、出席者全員が起立し、黙祷を捧げました…。(咄嗟にこれを次第に加えて頂いたのは、定期総会の事務局を務める岐阜市都市建設部の太田部長の心遣いによるものでした。心から敬意を表したいと思います)
玉田先生、本当にありがとうございました…。