【 岐阜空襲から八十年( 25/07/09 wed )】80年前の本日、昭和20(1945)年7月9日の23時頃、岐阜空襲がありました。本日は「平和の鐘式典」が催され #岐阜市議会 を代表し挨拶申し上げました。
私事で恐縮ですが、40年前の岐阜幼稚園児5歳くらいの頃からだったと思いますが、同居しておりました私の祖母が、いつも戦争体験を語ってくれました。天皇陛下の話もたくさん聞いて育った世代です。思えば、祖母にはそんな気はなかったかと思いますが、私にとっては、戦争という、私が生まれる35年前の出来事に対する想いに大きな影響を与えたと振り返っています。そうした環境が私の幼き時代には身近にありました。しかし時の流れと共に、直接的に聞く機会が乏しくなっていることに危機感を覚える方々が増えていると承知しています。
こうした中、岐阜市担当部の尽力もあり、このほど #岐阜空襲 を経験された語り部の皆さんの動画が岐阜市の公式YouTubeチャンネルにアップされました。私も全て拝見・拝聴させて頂きました。空襲の火の海の中、大火傷を負い失われていく弟を抱き抱えながら聴いたお母さんの子守唄、こちらは平光さん(長良さん)のお話、鍵屋方面、本荘方面、鏡島方面と市街地の西へ西へと逃げまとう人々の列を容赦なく襲った焼夷弾、決して遠くではない我がまちで80年前にあった、思い出したくない辛い空襲の惨禍を語って頂いたことは、今を生きる我々世代、あるいは未来を生きる次世代にわたり、戦禍を生き抜いた皆さまの思いを風化させない、とても意義ある取り組み、尊い取り組みと心得ています。
岐阜市は昭和63年に「岐阜市平和都市宣言」を、そして新庁舎開庁時には、設計当時の市長であった故 細江茂光 前岐阜市長の強い思いで「平和の鐘」が #岐阜市役所 4階の空中庭園みどりの丘に移設されました。こうした取り組みは、戦争の惨禍を風化させない、という時の人々の強い想いの表れと理解しており敬意を表します。折しも戦後80年、そして昭和100年の今年、この節目を大切に、改めていまの複雑な国際情勢の中で、平和を守る方策を紐解く活動を一人ひとりが主体的に実践していくことを願っています。
本日は未来を担う若き #岐阜中央中学校 の皆さんも大勢参加、共に「平和の鐘」を打鐘し、80年前の今日を想い、参列された語り部の皆さまと共に静かに手を合わせました。
岐阜市公式YouTubeチャンネル
岐阜空襲80年 平和動画