【 恩師の十三回忌( 23/10/11 wed )】故斎藤喬先生十三回忌の集いに出席しました。学生時代、毎週毎週各県の知事が大学にやってきて学生に直に講義を行う #知事リレー講座 というユニークな授業がありました。興味津々に受講したその講座のコーディネーターを務めていたのが私の恩師、元 #読売新聞大阪本社 編集委員の故斎藤喬先生です。私の政治団体「クラブ青空」の名付け親であり、「こちら大阪読売社会部は黒田軍団」の参謀を務めていたことで、特に1970〜90年代の現役時代、業界の敏腕記者として名を馳せていました。とはいえ、初めて出会った2001年当時は既に大学の客員教授でしたし、歳も40年離れた学生には尖ったところを一切見せることはありませんでした。むしろ、言葉の一つ一つに深い文学と共に、学生にも一人ひとりに語りかけるように(実際に恩師の日々がそれを体現されていました)、血の通った人間味ある温もりが感じられたゆえ、自然と学生たちが集まってくる、今思い返しても異空間な仲間の輪が育まれていたひと時だったことを思い起こします。43歳現在の私の人生において、最も大きな影響を与えた恩師です。
その恩師が鬼籍に入られて十三回忌を迎えました。当時の教え子は殆どが報道各社に入り、この20年近く各地の現場を駆け巡り、共に40代前後となりました。9月には大阪で、10月は東京で、2都市開催となった今回の十三回忌の集いには、ご遺族や恩師の同僚のお仲間も参加されました。中でも、#読売新聞 グループ本社の老川祥一会長は、恩師健在の頃は大阪本社の専務さんでしたが、いつも #立命館大学 のキャンパスを恩師と一緒に歩かれては、知事リレー講座に続き、市長リレー講座、マスコミ講座、宗教講座、大使・領事リレー講座など、数々のユニークかつ実学的な機会を学生たちに創造してくださった立役者です。20年前のことですが、本当に恵まれたタイミングで学生時代を過ごすことが出来ていたことに心から感謝しています。
今回、恩師が社会部記者だった頃から晩年に至るまでの追悼集二作目が有志出版の日を迎えました。そのお披露目を兼ねながら思い出話に花を咲かせ「今後は命日を目安にまた集まりましょう」と散会しました。メディアのあり方(勿論、政治も…)が問われる昨今、発する一つ一つの言葉が文学の連続だった故齋藤喬先生、改めて心から手を合わせ、偲ぶひと時となりました。
(帰り際、読売ジャイアンツ大ファンの岐商凜心会先輩の宿題を一つ。元ジャイアンツオーナーの老川会長さんに岐阜のピーナツをPR、しっかりお務めを果たしました。功を奏すことを願って…。)