【 故 梶原拓 前岐阜県知事を偲ぶ会( 17/10/26 thu )】11年前、16年間「夢おこし県政」として数々の施策を展開し、岐阜県政発展に尽くされた結果として旭日大綬章を受章されました。しかし、直後に報じられた県庁裏金事件。当時、社会人なりたてで事務所に勤めていた一人として目を疑いました。空気が一変、その日を境に人々が潮が引くように離れていくさまを間近にしました。天皇陛下から直々に受章する名誉ある叙勲も誰もお祝いするような空気ではなくなっていました。当のご本人はそういうことには無頓着で、実際の叙勲も決してお部屋に飾ったりはしませんでした。そんな中、数名の財界関係者が事務所を訪れ「こんな淋しいことではいかん」と口にされ、ささやかなお祝いの会を開いてくださいました。立場でのお付き合いではない、人としてお付き合い頂いている様子を会場後方で眺めていて、実に温かいものを感じた当時20代、私の政治の原風景です。
今回の偲ぶ会。夏の葬儀がご遺志により密葬だったことで、「こんな淋しいことではいかん」再びそんなお声が上がりました。見事に当時と同じ財界関係者です。この呼びかけに応じて、快く協力してくださった岐阜県財界の皆さん。とりわけ、古田知事の格別なご配慮、上手副知事のきめ細やかな気配りに、深く頭を下げています。「人は桜が咲けば花見を楽しむが、誰がその桜を植えたのかは気にもかけない。植えた本人は気にしなくていい。政治とはそういうものだ。もし失敗したら梶原がやったと言われておれば良い」よく梶原さんから教えられました。偲ぶ会の終わりがけに「梶原さんには本当にお世話になった。献花に来られて本当によかった。」車椅子から乗り出し献花に訪れた方が、私を見つけて話してくださいました。晩年を側で過ごすご縁を頂いたひとりとして、いま岐阜県の各地に咲くお花の数々の種はどなたが蒔いたのか、これからも語り継いでいきたいと思います。
亡くなられる直前まで「これからの時代はどうあるべきか」を本にまとめるため、雪崩が起きて大量の書籍が床に広がる自宅の居間で、ひとり黙々とパソコンと向き合って原稿を作られる姿は一生忘れません。最期まで岐阜県政発展、地方分権に人生を捧げた梶原前知事。同じ地方政治に携わる端くれの一人として、背中を追いながら、これからも誠実にこのまちに、この地域、この国に捧げていきたいと思います。
私もようやく、手を合わせることができました。長い間、本当にありがとうございました。合掌。