【 古田肇 知事ご勇退 ( 25/02/05 wed )】水曜のことです。20年前の梶原知事の勇退を懐かしく思い起こしながら、古田知事の退庁式を静かに見守りました。同級生が大勢集われ、見送られる友情に心温まるひと時となりました。

個人的な古田知事との思い出は、2017年8月に梶原前知事がご逝去された時のことです。遺書に基づいて密葬で済まされた後、「それではさすがに…」と、有志によるご浄財で営まれた「故 梶原拓 前岐阜県知事を偲ぶ会」の開催に至るまでの、元秘書として梶原さんに仕えたご縁から事務担当として携わった約1ヶ月半の出来事でした。いま振り返れば、まるでエスプレッソのように濃厚なひと時でした。携えた資料一つ一つを自ら綿密にチェックされ、書面の改行や空白ひとつ間違えば指摘がある程の古田知事、県庁職員の皆さんの日常を察しつつ、私も書類作成には少々こだわるタイプの一人として、緻密な書面作成の極意を学ばされたように思います。

中でも一番の思い出は、式典数日後の知事室での出来事です。程々にご浄財が残り、これをどのように扱うかという協議での一幕でした。一旦は「ご香典という形が良いのでは」とのご意見が相次いだものの、ご遺志により密葬で済まされたご当家は辞退、「ならば記念誌を作らせて欲しい」と私から申し出たところ、「ならぬ。有形無形に君も経費がかかっただろうから、君が受け取りなさい」と古田知事。びっくりして、「それはできません」と少々押し問答に…。同席された上手副知事の退任前夜のことでした。秘書課職員さんが「そろそろお時間です」とのことで、知事室を後に…。困ったな…、と内心思いながら帰宅したのでした。

一晩考えました。

翌朝、上手副知事へお電話。「昨日のことですが、古田知事の仰るように、受け取ることにします」と伝えると、「伝えて良いか?」と上手副知事。「はい、私のお金として記念誌を作らせて頂きます。後日お届けしますとお伝えください」と答えると、「考えたな!」と笑って応じてくださいました。夕方、上手副知事より着電。「古田知事、笑いながら和田君に座布団やっとけ!って。記念誌作んなさい」と、嬉しいお電話でした。

出来上がった「故梶原拓前知事を偲ぶ会」の記念誌が心に残る古田知事との思い出です。梶原知事が言い続けた「善政競争」の精神、政治にもスポーツマンシップです。私も心込めてお見送りしました。20年間、本当にお疲れ様でした!

(写真:退庁式で見送られる古田知事、記念誌の一コマ)