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▼ 質問(和田直也)

→兵庫県加古川市の屠畜場を見学させていただいた上で、昨年の9月定例会において、屠畜場を公開することの意義を農林部長にお尋ねをしました。農林部長の答弁は、昭和42年から使っている現在の屠畜場にそのまま見学スペースを設けるというのは物理的に難しいが、将来の建てかえ時については時代の変化を踏まえて見学スペースの設置を前向きに検討したいとの答弁をいただいております。
今回は、このことに関連しまして教育長の見解をお尋ねします。
今日のいじめ問題の深刻化は、携帯ゲームなどを初めとしたバーチャルな世界に幼いころから浸っていることも無関係ではないように思います。かつてボーイスカウトの活動にかかわった折に、鶏の解体を目の当たりにすることで、この「いただきます」の意味、手を合わせることの本質について教えてもらいました。中国では、お米はかまどからとれると子どもたちが言い出したら王朝の終えんだと言われていたそうですが、今日の現代社会において、スーパーに並ぶ豊富な食材というのは一体どこから来ているのか、だれがかかわっているのか、脈々と引き継がれる生命連鎖についてきちんと伝えられているでしょうか。
冒頭紹介しました兵庫県加古川市の屠畜場では、主に中学生の見学カリキュラムが組まれております。もちろん屠殺されるシーンや解体されていく作業を目の当たりにすることで、食べることに対するトラウマができてしまうのではないかというリスクもあります。それに対するケアの重要性はあります。しかし、多くは、いじめがなくなった、給食の残飯がなくなった、思いやりのある子どもたちがふえたなど、成果を強調する報告がなされております。と同時に、公開に踏み切る過程で克服したという人権問題など、過去の歴史的背景についても教えております。
食事の前に「いただきます」と、こうして手を合わせるというのは、もとのルーツはもちろん仏教ですけども、学校給食のときもみんなでこうやって「いただきます」を言うのをするわけでありますので、これはもう日本人の慣習だと思います。であればこそ、その意味、その本質に幼いころから触れることは、教育立市、そして、原点回帰を掲げる岐阜市こそ大切にしてほしいと思います。
数年前に俳優の妻夫木 聡主演の「ブタがいた教室」という映画が話題となりました。命のとうとさ、生命の誕生や感動を知ると同時に、生きていく上できれいごとでは済まされない命をいただくということ、食べるということ、この本質を改めて考えさせられた映画であります。私も数年前に辻議員の質問から、こういった観点でいろいろ問題意識を持つようになりました。
将来、岐阜市の屠畜場が改築され見学スペースが設けられた暁には、ぜひ教育現場として、全市的にとは言いませんので、選択ができるような食育の原点回帰を進めてほしいと思います。この点について教育長のお考えをお尋ねをします。

▼ 答弁(教育長)

→解体ライン現場の公開については、食肉地方卸売市場が新設された折には、ぜひ見学者の受け入れ体制を整えていただきたいと思います。そこには、みずからの生き方自体を揺さぶりかねない強烈な現実があるからです。多くの人にとって、その現実から学ぶべきものはたくさんあると思います。かわいそう、できれば見たくないという最初の感覚から、それを冷静に受け取り、その社会的意味を解釈しようとする過程で、日々スーパーで目にする製品となった食品の流通過程で見えにくい事実、そこで働く人々への感謝、命をいただくという意味、生かされてるという自分の存在など、生と死の問題に向き合い、やがて個人の尊厳の問題に結びついていくことと思います。そういう意味で、議員が教育の機会としてとらえようとされることには大いに共感いたします。
2点目の、解体ラインを中学生に見学させてはどうかという御提言についてお答えいたします。
この見学は、最終的には個人の尊厳にかかわる重い課題を私たちに突きつけることになります。中途半端な興味本位の見学では許されません。それゆえ慎重にならざるを得ません。もし一斉に見学させた場合、多様な反応が予測されます。多くの子にとっては、教室では教えることのできない、一生の礎となることも学んでくるでしょう。しかし、深く傷つき、自分でこの膨大な現実を受け入れ切れない子どもの存在も心配です。それらの子が負った傷を学校が責任を持ってフォローし切れない場合も考えられます。それでは無責任です。生き方と深く向き合う場面だからこそ、思春期の一時期に一斉に実施することは避けるべきだと思います。実施するにしても十分な事前・事後指導があり、保護者と本人の同意がある中で、場合によってはカウンセラーを配置し、希望者だけを参加させることは最低限しなければなりません。むしろ保護者が子どもとともに考え、その成長を慎重に推しはかりながらその機会をつくるべき、大事な家庭教育の場と考えます。
学校では道徳の授業を中心として全教育活動を通じて命の大切さを学びます。家庭科で食の安全、社会科で流通、理科で生命などについて学びます。また、教育委員会においては平成23年度より、命の大切さ、生命の尊厳について考える人間理解教育のカリキュラム作成に取り組んでいます。県獣医師会の「いのちの授業」も大いに注目すべき取り組みです。
以上のような総合的な取り組みが子どもの心の中で醸成され、抽象的な概念形成もできるようになったとき、解体ラインの見学は位置づくものと考えます。
見学コースが完成した折には、教師自身が、まず、見学し、それに向けて日常的にどんな教育が必要か見直す機会にしていかなければなりません。解体ラインの見学を通して、その事象を正面から受けとめ、命の大切さを実感できる子どもにまで高めていくことこそが義務教育に課せられた使命だと考えております。

▼ 質問&答弁、その後の進捗状況ご報告。

■ 進捗度評価 ・・・ △ 現在進行中 
→生命の大切さを学ぶ場として、平成23年度より「命の大切さ」「生命の尊厳」について考える「人間理解教育」のカリキュラム作成に取り組んでいます。人間のすばらしさについて、生物学的、社会学的、心理学的な側面から感じ取ることが出来るような教育場面をイメージして、指導資料を作成し、実践を重ねて検証を行っています。(教育委員会回答)

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