【 金津園と郷土史( R1/11/01 fri )】「金津園の歴史を卒業論文に取り上げている学生さんの協力をして欲しい」との相談を頂いて、学生さんと一緒に久々に郷土史家の松尾一さんを訪ねました。松尾さんは、本業の理髪店経営の傍ら「まつお出版」の主であり「岐阜は名古屋の植民地!?」や「岐阜弁やて!」など、数々の郷土学の書籍を執筆しています。特に江戸の街道史には力を入れており、私も学生時代は大津から京都三条大橋までの中山道巡りをお供するなど楽しい思い出を共有しています。

さて、金津園の話。もとは明治22年に現在の西柳ケ瀬界隈に遊郭「金津園」が開設。東京の新吉原と比較されるほどの賑わいを見せるようになり、後の繁華街「#柳ケ瀬」発展の基礎となっています。戦時中、一旦廃止され川崎航空機と陸軍六八連隊(現在の岐阜県総合医療センター周辺)の中間付近の田園地帯(長森・手力雄神社南)に移転。戦後、再び柳ケ瀬に復帰したいとの計画もあったようだが、すでに旅館街となっており断念、そこで戦災で焼失した加納水野町の工場跡地(現在のJR岐阜駅南)に移転、1958年の法施行により幕を閉じ現在に至っています。(松尾一 著「みのひだ雑学」より)

さて、学生さんの論文作成。ユーモア溢れる松尾さんのお話も手伝って有意義な情報収集となったようで、今後の展開に注目しています。