【 細江さん、旅立ちの日。( 20/04/18 sat )】今となっては晩年となった市長勇退後の2年間、私人としての細江さんは、趣味の音楽、絵画やジョギング、お孫さんなど家族との時間を長良川の側で静かに過ごされていました。ただ、議会の度に語っていた「私は粉骨砕身、#岐阜市、#岐阜市民 のために努めます」と、ひたすら走り続けられた期間からすればあまりに短かく、突然でした。数年前、100歳の大往生を遂げられたお父様を見送り「俺も100まで生きるぞ。教育に関わる会社も立ち上げてみたい」と意気込んでおられ、ようやく得られた自由の時間、奥様やご家族、何よりご本人の無念を思うと、かける言葉がありません…。

一昨日、コロナ対応で書類整理をしていた時、細江さんに関する懐かしい資料がひょこっと出てきました。ふと、この非常事態に細江さんならどういう采配をされただろうと思いを巡らせていたちょうどそのとき、救急車が目の前を通り過ぎていきました。いつもなら街の中に溶け込むその音が、いつも以上に大きく、不思議と心に響いてきました。訃報を頂いたのはその直後のことでした…。

お身内のみで済まされた通夜葬儀。参列が叶わないならと、昨夜は市議会録画中継から細江さんの予算説明の場面を懐かしく聴きながら過ごしました。今日は細江さん旅立ちの日です。天へ旅立たれる今日は細江さんの、72歳の誕生日でした…。粉骨砕身、岐阜市のため、岐阜市民のため走り続けた細江茂光前市長の事前の一策の数々に心からの敬意と感謝を込めて、雨の空を見上げて手を合わせています。合掌。


(写真:2016年1月30日*細江さんが公私ともに心から応援された #FC岐阜 クラブハウス完成式典後の内覧会での一コマです)